話し相手_20160602

なくて七癖と云われるように 「癖」 は誰にだってある。そのなかでも 「口癖」 は、対人関係や、行動、感情に大きな影響を与える。巷でよく云われるのは、ネガティブな口癖を見直すことで、思考や行動を変化させようと云う事である。例えば、「どうせ」 「……なんか」 「ダメだ」 「疲れた」 「仕方がない」 「できない」 「わからない」 などが代表的で、こうしたフレーズを口癖にしていると、実際に思考や行動がネガティブなものとなり、実際に不幸な現実を呼び寄せると云うものだ。

これはある意味で真理を衝いているのだが、その真偽はともかくとして、ここでは、そうしたなかでも現実的に対人関係やコミュニケーションに影響を及ぼす否定的な口癖を考えてみたい。具体的には、「でも」 「しかし」 「だって」 である。他にもあるだろうが、差し当たりはこれだけでも十分だろう。

会話のなかでこれらのフレーズが使われる場合、その機能は明らかだ。つまり相手の言葉や感情、行動を否定する機能である。話し相手に対する非承認の言葉。否定されて喜ぶ人間はいない。もちろん、議論の場では、考えを練り高めるうえで必要ではあるだろう。だが、それだってあまり連発すれば議論は低調に終わる。 場合によっては、相手は怒り出すかもしれない。

そこで、よく云われるのが 「イエスバット法」 であり 「イエスアンド法」である。前者は 「そうですよね。でも……」、後者は 「そうですね。それなので……です」 と云った云い回しである。確かに相手を否定するニュアンスは薄れるだろう。だが否定には変わりがなのは明らかだ。円滑なコミュニケーション、特に良好な人間関係を目指すのなら、まずは言葉を挟まず 「聴く」 ほうが遥かに重要である。

その意味で、「でも」 「しかし」 「だって」 は要注意だ。あからさまな否定の言葉。自分の発話から撤廃してみるのも良いのではないだろうか? まずは云い方を変えるてみる、と云った小手先の方法でも何でも構わない。とにかく、一度、それらの単語を撤廃して様子をみてみるのはどうだろう。きっと何かが変わっているのではないだろうか。

とは云え、こんな事を書いている僕だって 「口癖」 はある。最悪な事に、何を隠そう、「でも」 である。もちろん、つい使いたくなるのは、相手のネガティブな発話の肯定的な側面にフォーカスする時なのだが、しかしだからと云って否定でない訳ではない。「イエスバット法」 「イエスアンド法」 と何ら変わらない。当面の全廃に向けて、鋭意努力中である。


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