main0212

私たちは日々の生活のなかで何気なく話をしていてます。そうしたなかでも「ちょっと聴いてよ」「なあ聴いてくれよ」と誰かに話を聴いて欲しくなる時があります。それは愚痴だったり、抑えきれない怒りだったり、やり場のない思いだったり、と様々です。不安や心配事や悩みであることもあるでしょう。

もちろん解決を求めての場合もありますが、そうではなく「ただ話したい」と云う場合も多いもので、つまり「わかって欲しい」のです。それだけでネガティブな感情から解放されることも多いのです。

カタルシス

話し相手に話すことには様々な意味があります。ひとつには先に述べたように、自分のなかの鬱積した気持ち、あるいは思い出された感情を吐露することで、それらから解放されると云う浄化機能(カタルシス)があります。が、それだけではありません。

気持ちや考えがまとまる

話すと云うことは、つまり誰かに「わかって欲しい」から話すわけです。そのために、人は相手が判るように、自然と自分の考えを判り易くまとめようとします。そこには自分でも曖昧だった感情や思考が明確になって行くと云う側面もあります。また、

自分を受け入れる

誰かに解って貰おうと気持ちや考えを表現することは、それらを自分のものだと認めることでもあります。また相手の反応を通して改めて自分の気持ちや考えに気づき、そしてそれらを受け入れて行くことにもつながります。さらに、

しかるべき場所に収めていく

自分の過去の経験を語ることもあるでしょう。それは、遠い昔のこともあれば、つい先日のこともあるでしょう。その経験を語ることは、その出来事とそれに伴う感情とを再び味わうわけで、それらを受け入れ整理し、そして自分のなかのしかるべきところに収めて行くことにもつながります。


抱えきれない「悩み」や「心配事」あるいは「不安」や「辛さ」も、話し相手に語ることで、その気持ちを「分かち持って」貰うことで、半減して軽くなることもあるのです。


関連記事
<対話>を求められる方へ