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話すためには聴く相手がいる

話すことで気持ちが楽になり、心が軽くなることがあります。それは「話すこと」の持つ「癒しの力」と云っても良いかも知れません。けれど、話すためには聴いてくれる相手が必要です。しかも、それは少なくとも、聴いて欲しいとき、乱れた心を整えたいとき、辛く苦しいとき、等々なわけであり、たとえ雑談や世間話であったとしても「聴かされたいとき」ではないのです。と、考えると、そこに求められるのは「良き聴き手」と云うことになるのではないでしょうか。

それでも人は判って貰うために話す

たとえばそこで、否定されたり、批判しされたり、意見を押しつけられたり、裁かれたりしたらどうでしょうか?話すこと自体が嫌になってしまうかも知れません。逆に傷ついてしまうかも知れません。話をする以上は、いえ、人は誰しも、解って貰いたいと潜在的に思っています。判って貰いたいからこそ話すのです。まずは自分を理解してくれる相手、そうでなくとも理解しようとしてくれる相手、それが「良き聴き手」の第一条件ではないでしょうか。そうでなければ、心を開いて話すのは難しいものです。

誰にも話せない思いを誰に話すのか

では、その相手には誰がふさわしいのか。たしかに、身近に「良き聴き手」はいるかも知れません。とは云っても、私たちの生活は様々な「関係」に満ち溢れています。聴いてくれるかもしれないけれど周囲の人には話せない、そんな事柄や感情は幾らだってあります。そして往々にしてそうした思いこそ、何とかしたいものなのです。そうしたとき「信頼のおける見知らぬ誰か」が相手であったらどうでしょう。云うまでもなく秘密は守られ、しかも日常を共にしない知らない相手であるからこそ、話せることもあるのではないでしょうか。「話し相手サービス」「カウンセリング」にはそう云う側面もあります。


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