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悩みに大きい小さいなどない

人は誰しも時として「悩み」を抱えるものです。誰にも言えない悩み、ありませんか? 悩みと云うのは常に個別的です。どんな「悩み」もその人にとってみれば「悩み」なのです。些細な悩み、大きな悩み、色々あるでしょうが、ある人にとっての悩みが、別のある人にとっての悩みだとは限りません。自分がこんなに悩んでいるのに、その苦しみを誰も解ってくれない、と云ったことは幾らでも起こります。つまり、ある人が悩みだと云う以上、それはその人にとって立派な悩みなのです。他の人に「そんなことで……」などと云う資格はありません。ですが、そうだとすれば逆に、当人がそれを悩みだと認識しなければ、悩みではなくなる、とも云える訳です。同じように、自分ではどうすることも出来ない問題で悩むとき「悩んでも仕方がない」「悩んでも意味のない悩み」そう割り切れば良い、と云うものナンセンスです。なぜなら、割り切れないから、その人は悩んでいるのです。

その悩みを解消するには……

「判って」はいても、悩ましいのが「悩み」です。具体的に何か対策を打つことで解決をみる場合もあります。たとえば「職場が自分に合わない」と云う悩みなら「配置転換」etc.してもらう、あるいは「いじめ」が悩みであるのなら「転校する」「助けを求める」etc.と云った具合です。ですが、それが出来ない場合も多いものです。環境や相手を変えることが出来ない以上、特に「過去と相手は変えられない」と云われるように相手を変えるのは困難ですが、その場合、自分が変わるより他ありません。その時、大切なのは、まずはその悩みを誰かに「解って」貰うことです。ひとりでは抱えきれない悩みも、誰かに「分かち持って」貰うことでその重みは半減します。それだけで「こんなことで……」と思える場合も多いものです。そこには、改めて自分の感情に気づいたり、曖昧に絡まり合った考えが整理されたり、問題の出来事や関係や感情を受け入れていく過程があるはずです。

いったい何故それが悩みとなっているのか

もちろん「解って貰う」だけで悩みが解決、つまり問題が問題ではなくならない場合もあります。先に自分が変わると云いいましたが、ではそのとき変わるのは、いったい何なのでしょうか? また、当人がそれを「悩み」だと認識するのは何故でしょうか? 「悩み」には、常に「感情」がつきまとっています。その出来事なり関係性なりに不快な「感情」が伴うから「悩み」となるのです。ですが「感情」は、出来事や関係性から直接に生じるものではありません。同じ事柄に接しても、ある人には悩みとなり、ある人には悩みとなりません。たとえば「~~でなければならない」と考えている人にとって、そうでない状況は悩みでしょうし、そんな考えを持たない人は悩まないでしょう。つまり感情は、その事柄をその人がどう受け止めているか、と云う「認知の仕方」を通して生じている訳です。つまり、自分が変わると云うときに変わるのは、自分の「認知」であり、それに伴って「感情」が変わり「行動」が変わるのです。悩みの解消にはこうした認知の書き換えが有効です。

自分ひとりでは解消されない悩みも……

そうは云っても、悩みを誰かに「解って」貰うには、誰か解ってくれる人が必要ですし、自分の認知を書き換えていくにしても、自分ひとりで自分を変えていくのは、なかなか難しいものです。自分では気づいていない自分の感情や考え方だってあるでしょう。また周囲の人には云えない悩みだって多いものです。そんなとき「信頼のおける見知らぬ誰か」である「話し相手サービス」や「カウンセリング」を利用してみるのも悪くないと思います。


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