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身近な話し相手ではないメリット

誰か話し相手が欲しいときと云うのは誰にでもあります。それは、寂しいとき、暇なとき、かも知れません。あるいは、聴いて欲しいとき、相談したいとき、解って欲しいとき、認めて欲しいとき、かも知れません。とは云え、私達が日々の日常をおくるなかで、適当な話し相手がいないとき、と云うのはしばしばあります。何故か今夜は誰も電話をとらない……と云った場合もあるでしょう。親しい人たちとは離れて暮らしていると云った場合もあるでしょう。そうした「時間と場所」の問題がまずあります。さらに、こんなことは周囲の人には話せない、立場的に誰にも云えない、弱みを見せるようで話せない、と云った「話の内容」の問題もあります。「話し相手サービス」はそうした問題に有効です。対話可能なタイミングは予め判っていますし、日常生活を共有しない「信頼のおける見知らぬ相手」であることで、話題の制約も受けません。

誰もが抱く大いなる誤解

話し相手もいないなんて情けない、格好悪い、寂しい人だと思われたくない……etc.「話し相手サービス」を利用すると考えたとき、そんな思いが脳裏をよぎったりはしませんか? ですが……考えてみて下さい。先にみただけでも「適当な話し相手が見つからない」などと云う事態は、私たちの日常にはありふれています。とりわけ変わった事態でもなければ、ネガティブな事態でもありません。普通のことなのです。そのうえ「話し相手サービス」には「時間と場所」の制約をあまり受けない、「話の内容」の制約もほとんど受けない、と云うメリットがあります。誰にでもある「ありふれた事態」を、そうしたメリットを認識し、活用して対処する、これは逆に、賢い方法なのだとも云えるのではないでしょうか。海外にはこうした「プロの相談相手」を何気なく日常的に利用する文化もあります。ましてそれが廉価なら、利用する価値もあるのではないでしょうか。

良質な「話し相手」であること

あたり前のことではありますが「話し相手サービス」である以上、相手は「話を聴くプロ」です。そこでは、否定されたり、批判しされたり、意見を押しつけられたり、裁かれたりすることはありません。「良き話し相手」「良き聴き手」の第1条件は「自分を理解してくれる相手」「自分を理解しようとしてくれる相手」だと思われます。人は、それがたとえ雑談であっても「解って欲しい」ものです。「解って欲しい」から話すのです。ましてそれが「悩み」だったらなおさらでしょう。「話し相手サービス」が提供するのは、このような「良質な話し相手」です。気持ちを分かち持ってくれる「信頼のおける見知らぬ誰か」だと云っても良いのではないでしょうか。そしてそうした対話においてこそ「話し相手に語ると云うこと」に示された「話すことの意味」が生じるのだと思います。誰にでも、話を「聴いて欲しいとき」はあるものです。


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