アサーション_20160407

私たちは日々の生活のなかで「遠慮したり強引にならずに自分の意見を云えているだろうか?」「依頼を受けた時に自分の気持ちを偽らずに引き受けたり断ったり出来ているだろうか?」あるいは「 些細な事で必要以上に感情的にならず思いを伝えられているだろうか?」

「対話の豆知識」 では、そんなことを思い、心地良い対人関係を築きくための適切な自己表現の仕方として「自他尊重のコミュニケーション」と云われる「アサーション」を取り上げました。ここまで6回にわたり、平木典子(2009)「改訂版 アサーション・トレーニング」を読み進めてきましたが、今回はその最終回 「第5章 言葉以外のアサーション」 です。(またこの章は、アサーティブになるのを妨げる6つの要因の6番目にあたります)

さわやかな自己表現を知るために
第1章 アサーションとは
第2章 人権としてのアサーション
第3章 考え方をアサーティブにする
第4章 アサーティブな表現 前篇
第4章 アサーティブな表現 後篇

第5章 言葉以外のアサーション


非言語的アサーションの要素

アサーティブな自己表現には言葉以外の要素も大切です。コミュニケーションにおける非言語的要素には、ざっと次のようなものがあります。身振り、表情、視線、姿勢、話し振り、語調、外観、生理反応、反復行動、身体スペース、時間概念。さらには、身体接触の仕方、反応のタイミングなどもそうかも知れません。平木(2009)はこれらを「視覚的なもの」と「聴覚的なもの」とにわけ、それらが持つ文化的な意味合いの違いも検討しています。

視覚的なもの
身振り、表情、視線、姿勢、外観、生理反応、反復行動、身体スペース。明確な区分は難しいものもありますが、これらは 「視覚的なもの」 と云えます。平木(2009)は、特に視線を強調しています ときたま相手の目を見たり、話している口元に視線を移したりして、相手を目で確認しながら話すことは、相手に関心をもち、相手との関係を、アサーティブで心地良いものにしようとする意思を表現している(平木,2009)

また表情については「1度に2つの意味を伝えること」に注意を促しています。ときに人は腹が立ったり、同意できないときでも笑顔になったりします。そのため、伝えたいことが伝わらなかったり、神経質な笑いや、引きつった笑顔になることもあります(平木,2009)。これはベイトソン(G.Bateson) が提唱したダブル・バインド(二重拘束) と呼ばれるコミュニケーション状況に相当します。場合によっては、苦痛な混乱や、不快な緊張を相手に生じさせたり、攻撃的な印象あたえたりする可能性があるので、充分に注意したいところです。

聴覚的なもの
話し振り、語調。これらには、声の大きさ、流暢さ、速度、調子、明確さ、余分な音の有無、反応のタイミングなどが含まれます。平木(2009)は、聴覚的なものはアサーションに最も大きく関与すると云います。たとえば、非主張的な人は、小さな、高い声で話す傾向があると指摘し声の大きさ、話す速さはもちろんのこと、話し方全体もアサーションには大きな影響があります。難しく、華麗な言い回しをする必要はありませんが、簡潔で、率直、自発的な表現は重要です。また「あのー、」「そのー、」「えーと」などの余分な音が多すぎたり、変な前置きをするとアサーティブに聞こえなくなります(平木,2009)。また「たいしたことではないけど」 「気にしないでほしいのですが」 などの前置きは、配慮として有効な場合も多いのですが、ケース・バイ・ケースで注意したいものです。

文化的要素
「視覚的なもの」にも「聴覚的なもの」にも、それらにまたがる身体接触の仕方、反復行動、身体スペース、時間概念にも、文化による違いが多かれ少なかれあります。たとえば、日本人の共同体では、依頼に対しての曖昧な笑みは、なんとなく共通の理解を得られるでしょうが、他の文化圏ではそうではないかも知れません。挨拶にしても、たとえば、握手やハグは文化によって許容範囲が異ります。私たちは馴染のあることには安心して対応しますが、馴染のないものに対しては警戒心や不安を持ちやすいものです。~略~ 心がけたいことは、戸惑いを感じてもよいし、不安を持つのも仕方のないことだと考え、それを敵意や攻撃的態度と理解しないことです。そして、そんなときは、率直に、アサーティブな態度で、相互理解を深めようとする事です(平木,2009)。


感情の表現について

ところで、非言語的要素が特に大きく作用するものに「気持ち」の表現があります。「嬉しい」「悲しい」「大好き」etc. それらは言葉だけで充分に伝わるでしょうか。声の調子、表情、身振りなどがともなってこそ的確で適切な表現が可能になる、と云う訳です。そしてまた、平木(2009)は感情表現に際しての幾つかの注意ポイントを挙げています。

感情に善し悪しはない
「外界の刺激(出来事)」を受け、それが私たちの信念(認知)を経て、呼び起されるのが感情です。考えてみれば、そこに価値的な問題が含まれるはずはありません。私たちは感情表現について違った考えをしているようです。日頃から、表現してよい感情、してはならない感情を区別し、さらに、表現してよい人、してはならない人が決まっていたりします。たとえば、いつもにこやかで、朗らかなのがよいとか、嫌いな気持ちや怒りはだしてはならないといったことです喜怒哀楽などの感情は、誰にでもあるものであり、それを表現してはいけないということはありません。誰でも、どの感情も、表現してよいのです。したがって、大切なのことは、自分のさまざまな感情をどのように表現するか、必要以上に相手に脅威や不愉快を与えないで伝えられるか、そして、どの様にして相手の感情もきちんと受け取るようにするかということです(平木,2009)

感情は自分のもの
さて、そうした感情表現を行うに際して「感情はまぎれもなく自分のものであり自分の責任で表現できる」ことを認識しておくのが良い、と平木(2009)は云います。先にみたように、ある出来事(刺激)に対する感情は、自分の認知(信念、価値観、枠組み)が引き起こしているのです。〝遅刻をしてきた彼氏〟のせいでもなく〝小言を言い募る奥さん〟のせいでもなく〝泣きやまない子供〟のせいでもありません。その感情は自分の認知が呼び起こしているのです。自分が起こしている感情であれば、必要に応じて自分でコントロールすることもできるわけです(平木,2009)。日々の日常をおくるなかで私たちは、湧き起こる「自分の」感情を相手のせいにしてしまってはいないでしょうか。

言行を一致させる
感情を表現するときには、言っていることとやっている事を一致させることが大切です これは先に触れた 「ダブル・バインド」 に関する指摘ですが、平木はの文脈でこのことに言及している訳です。ただ厳密には、ダブルバインドとは、発せられるメッセージに命令の要素が含まれている時に使われる言葉なのですが、広義には、相手に影響や反応を強いる(拘束する)メッセージにおける言行の不一致、と捉えても良いでしょう。「笑顔で腹が立つと訴える」「棘のある優しい言葉」「褒めているのに眼が怒っている」「怒りの表情での寛容な言葉」などはその例です。弱い立場にいる人(たとえば子どもや部下など)が、このメッセージをもらい続けると、常に判断に窮する状況におかれるため、脅威を感じたり、懲らしめられている気持ちになる可能性があります(平木,2009)と警笛を鳴らします。

感情表現に必要なアナログ
平木(2009)は、言葉は基本的に「デジタル」 信号であり、感情や気持ちは 「アナログ」であるとしています。その含意するところは、人には、言葉には収まりきらない心の動きがあると云うことです。感情の強さが刻々と変化したり、複雑な感情の狭間で揺れていたり、憎くもあり可愛くもあると両価的なものだったりすることを指しています。人間のコミュニケーションでは、デジタル(知的作業)とアナログ(情緒的反応)とが矛盾なく相互に補い合っている事が望ましく、特に感情表現では非言語的な要素が重要たと云う指摘です。


怒りとアサーション


そうした感情のなかで、最も取り扱いが難しいものとして 、平木(2009)は特に「怒りの感情」に言及して、この章は締め括られています。ごく簡単ですが、最後にこれに触れて「アサーション・トレーニング」を読了することにしたいと思います。

怒りの感情とは
ひと言で「怒り」と云ってもその程度は一様ではありません。① マイルドな怒り(「不快だ」「同意できない」「いやだ」)② 中程度の怒り(「腹立たしい」「イライラする」「反対だ」「煩わしい」)③ 最も程度の強い怒り(「頭にくる」「怒鳴る」「カッカする」「激怒」)。要は 「怒り」 とは常に激しいわけではないと云うことです。できれば怒りの程度がマイルドなときに表現すれば、それほど抑えようとする必要もないわけです。せめて中程度なときに 「やめてほしい」 ことをはっきり伝えれば、嫌なことがたび重なったり、怒りがたまったりするのを防ぎやすくなります(平木,2009)

どんなとき、怒りを感じるか
では「怒りの感情」はどんな時に起るのでしょうか。外界の刺激(出来事や他者の言動)を受けて、自分の心身の安全が脅かされる(あるいは不快な状況に陥る)と感じ、そして、その危機が自分の対応能力を超えていると(無意識にでも)判断される場合に、その刺激は脅威となり、その脅威を跳ね返すべく相手に脅威を与えようと沸き起こるのが「感情が怒り」だ、と、ここでは説明されています。またそれは攻撃的に発散されることも多いので、感情を押さえようとしたり、逆に自分に振り向け罪悪感を持ったり、自己嫌悪になったり、抑うつ的になったりすることもある。あるいはまた、他の人やモノに向ける方法で処理されることもある、と指摘しています。つまり、不快感にもとづく怒りは、表現しないと、欲求不満になったり、たまったあげくには、攻撃に転じることにもなるのです(平木,2009)。

そして、脅威(不快)を感じた時は、その正体をハッキリさせることが大切だと述べています。脅威のもとは、経験、価値観、意見、行動様式の違いであることが多く、また 「違い」 そのものが脅威である場合であれば、同じでありたい、同じでなければならない、と云う「信念」が脅威のもとだと云えます。あるいは、こちらの期待や望みに相手が沿わないことが脅威ならば、すこし反省してみると、そこには怒り以外の別の感情がある事に気付くだろうと云います。たとえば〝遅刻をしてきた彼氏〟に 「怒り」 を覚えるのなら、それは「かっかりした」「寂しかった」「早く会いたかった」 と云う気持ちが「怒り」の感情に化けたのかも知れません。怒りで相手を撃退しようとするよりも、自分は 「困ったり」「怖れたり」「がっかり」 していますと伝えた方が、相手は脅威を感じないので、あなたの状態に適応しようとしてくれるでしょう(平木,2009)

自分の怒りの取り扱い
重要なのは、まず、自分の怒りに気づき、認め、そしてその感情は自分が起こしていのだと云うこと、したがって非難すべき人はいない、と云うことを認めることだ、と平木(2009)は述べます。そして、なるべく穏やかな程度のときに、適切な形で表現しておくことだと。つまりは小出しにすると云うのが大切で、また「適切な形」と云うのは、相手に脅威を与えないように、しかし明確に「どうして欲しいか」を伝える事だとも云っています。もちろん、自分の責任において表現しないと云う権利もあります。

他者の怒りへの対応
逆に、他者の怒りの場合、ここでも重要なのは、その感情が「相手のもの」だと云うこと、相手が起こしたものだと云うのを認識することです。そして「自分のせいだ」と受け取ったり、逆に、怒り返したりしないことだ、と述べています。 次に大切なことは、相手の怒りを否定しないことです相手のものとして受け止め、その理由を理解し、それに対応する意思がある事を示すことが大切です 相手の気持ちを受け止めると同時に、自分の気持ちを相手に伝える事も大切「怖い」「動揺している」「ちょっとの間待って下さい」など自分の防衛的な気持ちを表現することが必要です(平木,2009)としている。


ごく簡単ですが「改訂版 アサーション・トレーニング ~さわやかな〈自己表現〉のために」 を、ここで皆さんと一緒に概観してきました。「自他尊重のコミュニケーション」。すぐに身につけることは難しいでしょうが、意識しておくだけでも少しは違うのではないでしょうか。私自身、頭の片隅に留めて、少しずつでも実践して行きたいと思います。


アサーション

【文献】
平木典子(2009) 「改訂版 アサーション・トレーニング 」 日本・精神技術研究所


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