どうにも心に引っ掛かる心配がある、夜も眠れぬくらいに気にかかる事がある、そんな時は誰しも心が塞ぐし、それでいて落ち着かず、焦るような気持にもなるものです。「どうしよう……」 と、そればかりで堂々巡り。ですが、それを誰かと共有するとき、何かが変わる契機にもなるものです。

ひとりで抱え込まれる心配ごと

僕たちの日常生活では実に様々なことが起こります。思いがけないことも起これば、不意に苦境に陥ることもあります。また、意に反して慣れない事をしなければならない時もあれば、話し相手4自分ではどうする事も出来ないのに、結果だけは重く自分にのしかかると云ったこともあります。自分自身が招いた先行き不安な事態もあれば、どうしても叶えたい願望の行く末を待つことだってあります。そしてそれらは往々にして、僕たちの胸の内に心配事として抱え込まれることになります……。それはなんとも苦しい心模様ですし、場合によっては悪循環となり、生活の他の事柄にも影響を及ぼすかも知れません。ですが、それを少しだけ解放して誰かと共有し、共に悩み、彷徨い、考え、整理して行くことで、事態が変わり始めることもあるものです。

心配による「心の圧」を軽減することから

心配事……それは 「不安」 の感情と背中合わせでもあるものですが、通じ合う部分もあれば、そうではない部分もあります。と、云うのは、そもそも心配 「事」 と云う以上は、何らかのハッキリとした対象(事柄)が存在する訳です。微妙な違いかもしれませんが、その点では 「不安」 を呼び起こす心的なプロセスとは多少異なっている気がします。
話し相手5 不安を感じる時には、どうしてもある種の漠然とした感じが付き纏います。「理由の判らない不安」 「頭では判っていても不安」 「漠然とした不安」 etc.と云ったものもあります。一方で、心配事には心配な 「事」 があるからです。その意味では、そこで生じる感情は、厳密にはむしろ 「恐怖」 に近いのかも知れません。

それはともかくとして、だとすれば、心配事を抱えた時のあの嫌な感情を和らげ、心配を解消していくためには、まずは心的な緊張の 「圧」 を下げ、いったい何が心配なのかを、改めて自分でハッキリさせてみることが重要です。「大切な人の病状が心配」 「相手が怒っているのではないかと心配」「うまく発表できるか心配」 「テストの結果が心配」 ……etc.多種多様にあるでしょうが、まずはここを明確にします。更に、もっと分解できる場合もあります。たとえば、大切な人が心配なのではありません。その 「病状」 が心配なのです(もちろん最終的にはその人が心配なのですが)。

最善の備えを模索するために

そして 「事」 がハッキリすれば、対処できる事と出来ない事との区別も出来てきます。具体的に今から何かをすれば、心配する要素が減ると云う場合があります。たとえば、発表の練習をする時間がまだあるのならば、今からする練習する価値はあるでしょうし、相手の感情が心配ならば、それについての情報を集めてより客観的に判断し直してみることは大切です。また自分の力では対処できなくとも、誰かの力を借りればリスクが減ると云う事だってあります。

しかしながら、もはや、どうにもならない事もあります。既に済んでしまった事柄や、自分ではどうすることも出来ない事柄の場合です。ただ、その場合でも、まったく何も出来ないかと云えば、そうでもありません。では、最悪のケースになったとして、その場合、何が起こるのか? を考えみることは出来ます。意外に、冷静に考えると実はそう大した事態でもないと云った事も多々あるものです。また、その最悪の事態と云うのも、恐れていたよりも最悪でないと云うことも……。つまり「最悪と云ってもこうなるだけか」と云った事も往々にしてあるものなのです。そうと気づけば、心配はかなり和らぐのではないでしょうか。 とは云え、深刻な事態が想定される場合もあります。ですが、それが想定出来るのならば、少なくとも最悪の事態に対して何らかの備えをする事は出来ます。万全の備えなどないのかも知れません。それでも最善の備えと云うものはあるでしょう。

「対話」 がもたらす心の整理

話し相手6 と、ここまで考えてみた時点で、抱えきれない心配な思いも、かなり和らいるのではないでしょうか。もちろん心配な気持ちで一杯な時に、こうした整理がつかない事も多いものです。「心配による「心の圧」を軽減する」 と云っても、それがなかなか出来ないから困っている訳でもあります。ですが、そんなに時こそ「対話」が役に立つのではないかと思います。ひとりで抱え込んだ心配事を「会う事のない信頼のおける見知らぬ誰か」に話し、心の重荷を分かつこと。話すことで心が整理されていくと云うこともあるし、新たな解決方法に気づくことがあるかも知れません。仮にもし、本当にどうにもならない心配事と云うものがあったとして、それでも、その思いを誰かと分かち合うことで、心が和らぐこともあるのだと思います。