これはボランティアなのだが、僕は、ある団体における自殺防止関連の電話相談を受けることが時々ある。無料で利用できると云うこともあって電話は頻繁にかかってくるのだが、そのたびに思うのである。世の中には「孤独」が満ち溢れているのだなと。
もちろん、そういう人たちがかけてくるのだから、その様な印象を受けるのだ、と云えなくはない。が、それにしても、と云うのが僕の印象である。あまりにもその手の相談が多い。
配偶者に先立たれての独り暮らし。あるいはそれに加えて、これまで電話をかけてきてくれた兄妹や親戚も高齢で亡くなられて話し相手もいない。そうではなく、病気によって家から出られず、話し相手は週に何度か来るヘルパーの方のみ。故郷を離れて1人暮らしなのだが職場や学校に友達がおらず孤独を感じている。独身だが定年後することがなくなり家から出なくなった。精神を患っており社会との繋がりを失い友人知人もない……etc。数え上げればきりがない。
ひとことで「孤独」と云っても色々ある。今あげたのは人と接触する機会がないタイプの孤独だが、それだけでも「街には孤独が満ちている」と、先の様な電話を受けていると感じてしまう。かつて「無縁社会」と云うテレビ番組が放映されたことがあったが、状況はあまり変わっていないように思えるし、逆に深刻になっている様にさえ感じる。
工夫をすれば、少なくとも話し相手くらいは確保できるようなケースはまだ良い。社会福祉協議会やNPO法人のボランティア団体などが主催する、地域活性や高齢者支援などを目的としたカフェ等の催しに参加する。昔の趣味を活かして友人をつくる。思い切ってアルバイトしてみる。デイサービスを利用する、作業所に行ってみる……etc.方法はなくはない。例えば、そうした工夫は出来るにせよ、これまでの来し方によって外に出るに出られない葛藤や、友達がいない悩み、と云ったケースならまだよい。話を聴くうちに道が開ける場合もあるからだ。
しかしながら、患っている病気の種類や、あるいは地域により先の様なサービスが不足している事情、また身体に支障を来しており外出が困難と云った事情、等々、どうすることも出来ずに人と接触する機会を持てない場合と云うケースもまた多いのである。その場合、電話を受けても、その孤独を分かち合うことは出来るが、そこから状況を変える方向での援助は出来ない。いや、そうした電話を受けて対話をすること自体が、少しばかり状況をかえることにはなっている。その人にとっては、その電話をしている時だけが人との接点になっているようなケースである。
「朝から晩まで誰とも話さない孤独が分かるか?」「どうしたらこの寂しさから逃れられるのか教えてくれ」「寂しくて寂しくてたまらない。どうしたらいいでしょう?」と訴える声は悲痛である。僕には、その寂しさを、孤独を、寄る辺なさを、受け止め共有することしか出来はしないのである。むろん少しでも社会が変容していくために出来ることがあれば行う。だが、それにしてもあまりにも微力である。
せめて、それで少しでも心が安らぐなら、そう思って僕は電話を受けている。もちろん、この相談室にしても同じことである。
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