話し相手とカウンセリングの「Lamplight相談室」公式ブログ

話すことには心を癒す力が宿ります。あなたの大切な話し相手となり、どんなお話も聴かせて頂きます。誰にも話せないホントの気持ち。でも、ここでなら大丈夫。あなたの心が少しでも軽くなりますように。~話し相手からカウンセリングまで~

タグ:傾聴


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話し相手_20170214

これはボランティアなのだが、僕は、ある団体における自殺防止関連の電話相談を受けることが時々ある。無料で利用できると云うこともあって電話は頻繁にかかってくるのだが、そのたびに思うのである。世の中には「孤独」が満ち溢れているのだなと。

もちろん、そういう人たちがかけてくるのだから、その様な印象を受けるのだ、と云えなくはない。が、それにしても、と云うのが僕の印象である。あまりにもその手の相談が多い。

配偶者に先立たれての独り暮らし。あるいはそれに加えて、これまで電話をかけてきてくれた兄妹や親戚も高齢で亡くなられて話し相手もいない。そうではなく、病気によって家から出られず、話し相手は週に何度か来るヘルパーの方のみ。故郷を離れて1人暮らしなのだが職場や学校に友達がおらず孤独を感じている。独身だが定年後することがなくなり家から出なくなった。精神を患っており社会との繋がりを失い友人知人もない……etc。数え上げればきりがない。

ひとことで「孤独」と云っても色々ある。今あげたのは人と接触する機会がないタイプの孤独だが、それだけでも「街には孤独が満ちている」と、先の様な電話を受けていると感じてしまう。かつて「無縁社会」と云うテレビ番組が放映されたことがあったが、状況はあまり変わっていないように思えるし、逆に深刻になっている様にさえ感じる。

工夫をすれば、少なくとも話し相手くらいは確保できるようなケースはまだ良い。社会福祉協議会やNPO法人のボランティア団体などが主催する、地域活性や高齢者支援などを目的としたカフェ等の催しに参加する。昔の趣味を活かして友人をつくる。思い切ってアルバイトしてみる。デイサービスを利用する、作業所に行ってみる……etc.方法はなくはない。例えば、そうした工夫は出来るにせよ、これまでの来し方によって外に出るに出られない葛藤や、友達がいない悩み、と云ったケースならまだよい。話を聴くうちに道が開ける場合もあるからだ。

しかしながら、患っている病気の種類や、あるいは地域により先の様なサービスが不足している事情、また身体に支障を来しており外出が困難と云った事情、等々、どうすることも出来ずに人と接触する機会を持てない場合と云うケースもまた多いのである。その場合、電話を受けても、その孤独を分かち合うことは出来るが、そこから状況を変える方向での援助は出来ない。いや、そうした電話を受けて対話をすること自体が、少しばかり状況をかえることにはなっている。その人にとっては、その電話をしている時だけが人との接点になっているようなケースである。

「朝から晩まで誰とも話さない孤独が分かるか?」「どうしたらこの寂しさから逃れられるのか教えてくれ」「寂しくて寂しくてたまらない。どうしたらいいでしょう?」と訴える声は悲痛である。僕には、その寂しさを、孤独を、寄る辺なさを、受け止め共有することしか出来はしないのである。むろん少しでも社会が変容していくために出来ることがあれば行う。だが、それにしてもあまりにも微力である。

せめて、それで少しでも心が安らぐなら、そう思って僕は電話を受けている。もちろん、この相談室にしても同じことである。


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話し相手_20160912

これは僕が直接に聞いた話ではない。所属しているある法人で、一緒に勉強したり、また、実際の傾聴活動を行ったりしている仲間に教えてもらった話である。そして更に、その仲間も、偶然にラジオで聞いて知った話だと云う。

なんでも、80歳を過ぎてから傾聴を学んでカウンセラーとなり、現在も現役で活躍されている、お婆さんがいるそうである。そしてそれが、予約もとれないほどの大人気なのだそうである。と云う訳で、取材に訪れたマスコミ・スタッフが 「カウンセリングのコツはなんですか?」 と訊いたところ、返ってきた返事が 「わたしは耳が遠いから、ほとんど聴こえないんだよ」 だったと云うのだ。

なんとも……考えさせられる話である。もちろん、この発言が冗談含みのものであると事は云うまでもない。だが、それにしても、一方で、傾聴やカウンセリングにおける重要な真実を語るものでもある。つまりは、話し手の邪魔をしないと云う事がいかに大切かと云う事が語られている訳である。

話し手が、話したいことを、話したいように、話したいだけ、話せるように務めるのが、傾聴なりカウンセリングの大前提である。逆に、これが出来ればそれだけで充分であると云う事もしばしばである。ところが、聴き手と云うものは、往々にして余計なことをしてしまう。

頷き、相槌、伝え返し、云い換え、要約、質問……etc. 更には助言。いわゆる傾聴技法は数あれど、それもこれも 「話し手の邪魔をしない」 と云う前提があっての話なのだ。その意味では 「なにもしないこと」 に努めるべきだ、と云っても良いくらいなのである。にもかかわらず、知らず知らずと聴き手は余計なことをしがちである。

例えば、助言 (あるいは提案) を必ずしも僕は否定するものではないが、それだって話し手が自分自身で語り尽くし思いをめぐらすなかでその土壌が形成されていなければ効果などありはしない。聴き手 (カウンセラーや相談員)に出来る事など本当に限定的なのだ、と云う事を、改めて認識しておく必要があるだろう。

なんとも……ズシンと胸に響く逸話だと思う。


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