話し相手とカウンセリングの「Lamplight相談室」公式ブログ

話すことには心を癒す力が宿ります。あなたの大切な話し相手となり、どんなお話も聴かせて頂きます。誰にも話せないホントの気持ち。でも、ここでなら大丈夫。あなたの心が少しでも軽くなりますように。~話し相手からカウンセリングまで~

タグ:思索


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心理療法のなかに「家族療法」と云うものがあることは知っておられる方も多いのではないだろうか。先日、カウンセラー仲間から面白い勉強会があると紹介されたのが『まないの会・ランチタイム勉強会シリーズ「もっと詳しく家系学・我が家の事を知るワーク付セミナー」』だった。要は「家系学」の勉強会である。心理カウンセリングと何の関係が……と思われるかも知れないが、「家系」ときいて想起されるのはボーエンの「家族歴史論/多世代理論」つまり「多世代派家族療法」である。なんとなく興味をひかれない訳でもないので、本日、その第二回目に参加してきた。

結果「かなり興味深い」と云う印象を得た。家系と云えば「系図」や「ルーツ」と云った言葉が思い浮かぶ。悩みの解消に役立つと云う以上は、個人が抱える現在のなんらかの問題に対して、それらからアプローチし、しかも家族療法的に対処しようとするものだろう……と想像がついた。家族療法にも様々なタイプがあるが、基本は、一般システム理論を援用し、IP(患者とみなされた人)の問題は、家族システム全体の相互に影響し合う対人関係の歪みや感情のもつれに起因する、と考える。そのなかでも、ボーエンの「多世代派家族療法」は「その家族に代々受け継がれてきた精神的な問題や、家族の秘密、コミュニケーション・ルール、力関係の力動的な影響などに焦点をあて、家族内の問題、あるいはIPの心的苦痛を解消しようとする」ものだ。やはり「家系学」はその影響を色濃く受けていた。

たとえば、ある人の現在の親に対する愛憎に満ちた葛藤は、実は先行世代の親に対する葛藤の反復だったりする場合がある。その感情のルーツを知ることによって、自分と向き合い、感情を受け入れ、自分のなかのしかるべき場所に収めて行くことによって癒され、気持ちや行動が変化して、関係性も改善されていく。そんなプロセスもある訳である。それだけではない。幼少期の親子関係や家族関係に焦点が当たるからには「精神分析」の影響も受けざるを得ない。云うまでもなくIPは、先の様な世代間の感情の反復を意識していない。つまり「無意識」の過程だ。そこに見いだされるのは「否認」「投影」「同一化」「反復」等の心的過程だろう。そしてその「洞察(気づき)」により変化がもたらされると考える訳だ。さらには、(たとえば家族において)「部分は全体に規定されると同時に全体を規定している」と云うシステムズ・アプローチの影響も受けているだろう。

個人的な印象ではあるが、これを知っている事は色々な面で有益だ。なにも、問題の原因を探ることだけが心理的援助ではないが、そのような見立てが必要となるケースが多いのも事実。その場合、あくまでケースによるが「家系学」を頭の片隅に置いておく事によって「見立て」は早まるのではないか。もし、その問題が本質的なものであれば「対話」を通じて、早晩、同じ場所には行きつくだろう。だが、スピードが違うように思う(無論、早ければよいと云うものではないが)。またルーツに光を当てる訳であるから、アイディティティの問題も取り扱えるし、家族(グループ)にも個人にも適用できる。知っているメリットは大きいと思う。ただしかし、その「洞察(気づき)」と「受容」そして「変化」の過程には、周到に配慮された「対話」が必要なのも、また云うまでもない。

ちなみに、会場は「まつなが食堂」と云うところで、さらに「ランチタイム勉強会シリーズ」だけあって、食事が素晴らしかったのは特筆に値する。

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カウンセリングにしろ相談にしろ傾聴ボランティアにしても 「傾聴」 をベースとした対人支援に携わる者は、定期的にその訓練を受け、スキルの劣化を防ぐと共にその向上を心がけねばならない。

と云う訳で、今回は普段から継続研修を受けてる団体とは別の機関が主催する傾聴トレーニングに参加してきた。が、驚いた事がある。当然にロールプレイがあるので、僕としてはICレコーダーを持参して、僕自身の勉強にしか利用しない旨を話し手に断ったうえで、その対話を記録しようとした。ところがである。主催者側が云うには、それは禁止していると云うのだ。

傾聴訓練で最も効果的なのは逐語検討である。これは面接なり相談の対話を、録音によって記録し、それを一言一句、沈黙も、繰り返しも、全てを正確に文字におこし、対話内容を分析し、適切な応答を検討すると云うものである。更に、その逐語に対して、知識と技術との確かな第三者からのスーパービジョンを受けられればベストである(もちろん、語り手の匿名性や話の内容などについての守秘義務については充分配慮したうえで)。

この方法がメジャーになったのは、ロジャース(Rogers,C.R)がその著書 「カウンセリングと心理学」(1942年) に、クライエントとの対話の逐語訳を掲載したことにより、当然、当時は日本でも逐語検討はカウンセリングの学習方法として頻繁になされた。が、その後一時、ロジャースの技法は、クライエントに指示をせず、クライエントの言葉をオウム返しすれば良い、只々ひたすらクライエントの話を聴いていれば良い、と云う誤解が拡がり、以前ほど頻繁にされことはなくなっていったのである。

では、その研修会では何をしたかと云えば、対話中にとったメモと記憶とを頼りに、不完全逐語をおこせと云うのである。そう云われれば、それでもないよりはマシか、と思いもするが、実は、これはあまり意味がない。何故なら、逐語録をつくる際に、対話の過程が都合よく編集されたり、割愛されたりするからである。それは意図的とばかりも云えない。人に見られたくない、自分向き合いたくない、そんな無意識の活動により、そうなってしまう場合もある。更に、そもそも、記憶などと云うものは曖昧なものなのだ。

大切なのは 「記憶よりも記録」 である。カウンセリング・ルームや電話と云う密室のなかで秘匿され守られているのはクライエントのプライバシーだけではない。カウンセラーや相談員またリスナーの、技量や人間性も覆い隠される。だが、こうした活動に携わる者は、時に、稚拙であったり不適切であったりする自らの応答や自分の内面と向き合い、そしてスキルの向上や自分の内面世界に開かれて行くことに耐えねばならない。それも出来るならば第三者の眼に晒されながら(無論、守秘義務には充分配慮して)。つらい作業ではある。

しかしながら、逐語検討こそが最も効果的だし、公正な学習方法だと、僕は信じて疑わない。と云う訳で、僕は今日も逐語をおこしている。


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