今週末は桜の見頃を迎えた地域も多いのではないだろうか。こちら神戸もほぼ満開を迎えた。明日は天気も崩れそうなので、今日は午前中から芦屋川沿いをそぞろ歩いてみた。ちょうど 「第28回 芦屋さくらまつり」 が開催中のはずでもあった。
画像は特設ステージからかなり離れた川辺の様子。だがそれでもこの人出。橋の向こうには39団体の出店による屋台も立ち並び、既にかなりの盛況ぶりだった。こうしてみると、日本人は本当に桜が好きなのだなぁ……と思わずにいられない。そして、手入れをする人達がいるからなのは判っているにしても、毎年、桜はきちんと咲き乱れる、と云う事にも、何故か感慨を抱いたりもした。
それにしても、桜の美しさには何か不思議なものを感じずにはいられない。それは良く云われる様に、一斉に花を咲かせ栄華を誇り、そして短期間にして散っていく、潔さのせいなのかも知れない。ただ、そうだとしても、それだけでは云い尽くせない、なんと云うか、妖しさの様なものを、感じなくもないのだ。 「桜の樹の下には
……“桜の樹の下には
だが、その美しさを裏側で支え、その存在によって美しさを成立せる、死のイメージ……。
毎年、僕は桜を見るたびに、梶井基次郎のこの小品を思い出す。
【文献】
梶井基次郎(1967)「檸檬」 新潮文庫
村上春樹(1991)「ノルウェイの森」 講談社文庫
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