話し相手とカウンセリングの「Lamplight相談室」公式ブログ

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タグ:桜


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芦屋さくらまつり1

今週末は桜の見頃を迎えた地域も多いのではないだろうか。こちら神戸もほぼ満開を迎えた。明日は天気も崩れそうなので、今日は午前中から芦屋川沿いをそぞろ歩いてみた。ちょうど 「第28回 芦屋さくらまつり」 が開催中のはずでもあった。

画像は特設ステージからかなり離れた川辺の様子。だがそれでもこの人出。橋の向こうには39団体の出店による屋台も立ち並び、既にかなりの盛況ぶりだった。こうしてみると、日本人は本当に桜が好きなのだなぁ……と思わずにいられない。そして、手入れをする人達がいるからなのは判っているにしても、毎年、桜はきちんと咲き乱れる、と云う事にも、何故か感慨を抱いたりもした。

芦屋さくらまつり2

それにしても、桜の美しさには何か不思議なものを感じずにはいられない。それは良く云われる様に、一斉に花を咲かせ栄華を誇り、そして短期間にして散っていく、潔さのせいなのかも知れない。ただ、そうだとしても、それだけでは云い尽くせない、なんと云うか、妖しさの様なものを、感じなくもないのだ。 「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!」 と云ったのは梶井基次郎だった。そしてそれは 「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」 と云った村上春樹にも通じる感性なのかも知れない。どうも桜の美しさに、僕はそんなものを感じるのである。

……“桜の樹の下には屍体したいが埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。~(略)~ いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽こまが完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱しゃくねつした生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心をたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。”(梶井,1967)……

芦屋さくらまつり3

だが、その美しさを裏側で支え、その存在によって美しさを成立せる、死のイメージ……。

毎年、僕は桜を見るたびに、梶井基次郎のこの小品を思い出す。


【文献】
梶井基次郎(1967)「檸檬」 新潮文庫
村上春樹(1991)「ノルウェイの森」 講談社文庫

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話し相手_20160326

おだやかな晴天の土曜の午後。夙川の畔を歩いてみれば桜の蕾がちらほらと。

今年もまた春が巡って来た。

別れと出会いの季節。そうでなくとも、何か新しいことが起こりそうな予感。そんなものを、そこはかはとなく感じるのは僕だけではないだろう。

もしかしたら、僕たちの今の暮らしのなかでは、実際には、そうたいした 「出会いと別れ」 など、ないかも知れない。

けれど、そんな予感を感じ、切なさにとらわれるのは、過去の思い出のせいなのかも知れない。

そしてまた思い出は、人それぞれの楽曲に彩られてもいるだろう。

この季節に思い出す曲。聴きたくなる曲。……さて、僕のベスト3はなんだろうか。


・「SAKURA」: いきものがかり :「さくら ひらひら 舞い降りて落ちて~」
・「春よ、こい」 : 松任谷由実 : 「淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花~」
・「桜」 : 河口恭吾 : 「僕がそばにいるよ 君を笑わせるから~」


順位など到底つけられはしないが、こんなところだろうか。この季節になると、どうしても思い出し、そして切なくなる。

もちろん自分に云えることが万人に云える訳などない。人それぞれの春の3曲と云う話題で、話してみるのも面白いかも知れない。

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SAKURA


春よ、こい




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