話し相手20161105

カウンセリングにしろ相談にしろ傾聴ボランティアにしても 「傾聴」 をベースとした対人支援に携わる者は、定期的にその訓練を受け、スキルの劣化を防ぐと共にその向上を心がけねばならない。

と云う訳で、今回は普段から継続研修を受けてる団体とは別の機関が主催する傾聴トレーニングに参加してきた。が、驚いた事がある。当然にロールプレイがあるので、僕としてはICレコーダーを持参して、僕自身の勉強にしか利用しない旨を話し手に断ったうえで、その対話を記録しようとした。ところがである。主催者側が云うには、それは禁止していると云うのだ。

傾聴訓練で最も効果的なのは逐語検討である。これは面接なり相談の対話を、録音によって記録し、それを一言一句、沈黙も、繰り返しも、全てを正確に文字におこし、対話内容を分析し、適切な応答を検討すると云うものである。更に、その逐語に対して、知識と技術との確かな第三者からのスーパービジョンを受けられればベストである(もちろん、語り手の匿名性や話の内容などについての守秘義務については充分配慮したうえで)。

この方法がメジャーになったのは、ロジャース(Rogers,C.R)がその著書 「カウンセリングと心理学」(1942年) に、クライエントとの対話の逐語訳を掲載したことにより、当然、当時は日本でも逐語検討はカウンセリングの学習方法として頻繁になされた。が、その後一時、ロジャースの技法は、クライエントに指示をせず、クライエントの言葉をオウム返しすれば良い、只々ひたすらクライエントの話を聴いていれば良い、と云う誤解が拡がり、以前ほど頻繁にされことはなくなっていったのである。

では、その研修会では何をしたかと云えば、対話中にとったメモと記憶とを頼りに、不完全逐語をおこせと云うのである。そう云われれば、それでもないよりはマシか、と思いもするが、実は、これはあまり意味がない。何故なら、逐語録をつくる際に、対話の過程が都合よく編集されたり、割愛されたりするからである。それは意図的とばかりも云えない。人に見られたくない、自分向き合いたくない、そんな無意識の活動により、そうなってしまう場合もある。更に、そもそも、記憶などと云うものは曖昧なものなのだ。

大切なのは 「記憶よりも記録」 である。カウンセリング・ルームや電話と云う密室のなかで秘匿され守られているのはクライエントのプライバシーだけではない。カウンセラーや相談員またリスナーの、技量や人間性も覆い隠される。だが、こうした活動に携わる者は、時に、稚拙であったり不適切であったりする自らの応答や自分の内面と向き合い、そしてスキルの向上や自分の内面世界に開かれて行くことに耐えねばならない。それも出来るならば第三者の眼に晒されながら(無論、守秘義務には充分配慮して)。つらい作業ではある。

しかしながら、逐語検討こそが最も効果的だし、公正な学習方法だと、僕は信じて疑わない。と云う訳で、僕は今日も逐語をおこしている。


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